離婚準備を始めて、もうすぐ3か月。
弁護士に相談し、家族にも決意を伝えたのに、ふと“このままでいいのかな…”と迷いが生まれる瞬間がありました。
そんなとき、いつも話を聞いてくれる恩師との会話の中で、自分の気持ちの奥にあった「罪悪感の正体」に気づいたのです。
今回は、「夫を許すこと」と「受け容れること」の違いに気づいた、心の記録を綴ります。
※最近は夫からの大きな動きはなく、変化があった日の記録を中心に綴っています。
🪞最近は穏やか。でも私の心は揺れていた
最近は日々、静かに過ぎていきます。
でも、その静けさの中で、私の心にある“揺れ”が起きました。
💬「このままで本当にいいのだろうか…?」
弁護士にも相談し、母にも離婚の意思を伝えたはずなのに、
なぜか心がふっと揺らいでしまったのです。
🎓 恩師との対話で見えた「気づき」
月に一度会っている恩師に、その迷いを打ち明けました。
姉にも話せなかった本音を、ポロリと漏らしたその瞬間――
👩🏫「ご主人は、あなたに謝った?」
……えっ?! 言われてみると、謝られていない。
その瞬間、ハッと目覚めた気がしました。
🎭 罪悪感を刺激する「優しさ」の正体
恩師の言葉は続きます。
「情に流されることはある。
でも、“謝らない”というのは“反省していない”ということ。
態度で示すのは、あなたの罪悪感を引き出すための手段かもしれないのよ。」
最近の夫はたしかに変わってきたように見えます。
🧍♂️怒らなくなった
🚮 ゴミを出してくれるようになった
👕 洗濯物をたたむようになった
その姿を見て、私の中にこんな気持ちが湧いてきていました。
💭「こんなに努力してくれてるのに、離婚したいと言っていいのかな…」
💭「私が悪いのかな…」
💭「私が家族を壊そうとしてるのかも…」
でも「罪悪感を引き出している」という恩師の一言で、モヤモヤがスッと晴れました。
🙅🏻♀️「許すこと」と「受け容れること」は違う
恩師は別れ際にこう言いました。
「ご主人を受け容れることと、許すことは別よ。」
その言葉が、心に深く刺さりました。
「許す」ということは――
私にとって、今まで夫を許すということは苦しい選択だった。
本当は、「絶対に許せない」と思っていた。
でも、家族という形を続けるには、“許さなきゃいけなかった”だけ。
それは、自分の気持ちを押し殺して、苦しくても苦しくても、飲み込んだ選択だった。
まさに、「自分を押し殺す」苦しい選択でした。
一方で「受け容れる」ということは――
だからといって、「もう消えてほしい」と思ってるわけじゃない。
あなたがこの世にいなければいい、なんて思ってない。
ただ、「これ以上、自分をすり減らしてまで一緒にいよう」とは、もう思えない。
距離をとって、自分の人生を守るための選択。
💬 そして、私はやっぱり「離婚したい」
情に流されて、また元の自分に戻るのはもう終わりにします。
「私は、私の人生を生きたい」
その思いを再確認できた81日目でした。
🌸 今日の気づきと、希望に変える小さな一歩
📝 今日の気づき…
「許す」と「受け容れる」は違う。
“許さなきゃ”と苦しんでいた自分から解放されて、心がスッと軽くなった。
🚶🏻♀️ 私の小さな一歩…
情に流されそうなときほど、“言葉”ではなく“行動”を見つめよう。
私はもう、自分の罪悪感に縛られないと決めた。
💬 よかったら、あなたが「これだけは守りたい」と思う自分の気持ち、コメントで教えてくださいね。
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